食糧自給率を上げなければ!!とか。高齢化がすすみ、日本の農業がこのままでが衰退してしまう!!とか。残念ながら私には他の農家さんのような高い志はなく、
まず、田舎暮らしがしたかった。
次に、誰かの指示で働くのではなく、自分で考えて働けるクリエイティブな仕事がしたかった。
そして、太陽の光を浴びながら身体を使って働きたかった。
というのが主な理由です。でもやるなら有機的な農業には憧れていました。それも特に理由はないんですが、なんかカッコイイからという、軽いノリでした。
生まれも育ちも愛知県なんですが、おじいちゃんが長野県の阿智村にいまして、子どものころからお盆と正月には遊びに来ていました。その縁があって、私の叔父にあたる人がとても良く世話してくれて、あれよあれよという間に、研修先と借家が決まり、家族で無事に引っ越してきました。
研修先は村の直営機関なので農地や農機、ビニールハウス、農業資材などの情報が集まりやすく、農業開始の時は、ほとんど中古の資材や機械で安く始めることができました。研修先選びは重要です。
夫婦二人で話し合い、前職が子どもに関する仕事だったことから「子どもたちが笑顔で食べれる作物をつくりたいね」という思いをもって、研修先で勉強してきた「慣行農法」で、南信州伝統の作型、「きゅうりと市田柿」でスタートしました。
きゅうり農家の一日は
朝4時から収穫&出荷。9時から朝食。10時から水やり、整枝、防除、草刈りなどの管理作業。昼休憩を挟んで、16時から二度目の収穫。夜は選果調整、出荷準備。休みはなし。この地獄のスケジュールが6月~9月まで。
出荷は市場出荷。高い時もあれば安い時もあり、市場の値段に一喜一憂し、疲れてくると「なんのために野菜作ってるんだろう?」と思ったりしながら、2年目のきゅうりが終わるときには「もう、きゅうり農家は辞めよう」と夫婦で決断していました。
原点に立ち返り「子どもたちが笑顔で食べれる作物」を作るために、いろんな四季折々の野菜を、安全安心な栽培方法で。食べてくれる人との距離が近い農家を目指し「少量多品目、化学肥料化学合成農薬不使用」と決めました。
素晴らしいことに阿智村には有機農家のグループ「阿智ゆうきの風」があり、慣行農家時代から参加させてもらっていたので、種の播き時や品種の選び方、虫や病気との関わり方、はたまた有機野菜の出荷先まで、ほんといろいろな役に立つ情報を得ることができ、就農3年目には、念願の有機農家へ転身できました。
まだ駆け出しではありますが、農家になりもうすぐ5年が経とうとしています。毎日農作業に追われる日々を過ごし、農業仲間たちと様々なことを話し合う中で、少しずつですが、にっしー農園として大切にしていきたいことが見えてきています。
一番はやはり、美味しいものをつくること。お皿に盛られ食卓へあがった時に色や形も楽しめるように、一般的な野菜に加えて、カラフルなものや伝統野菜などもつくる。食べたときにその土地を感じられるように、この地に合った旬の農産物を新鮮なうちにお届けしたいです。
次に、作物の成長にかかせない肥料はなるべく手の届く範囲のものを利用しています。落ち葉や刈草、藁やもみ殻、米ぬか、おから、出汁殻、鶏糞、牛糞尿、キノコ廃菌床など。身近にある多様な有機物を利用することは、環境に対する負荷を低減することに繋がるとともに、土の中の微生物も多様になり味わい深い野菜となります。
そして、農を営むことは土地を守り次世代へ繋げていくことです。私たちが農を営む場所は中山間地と呼ばれ、畦畔が面積の半分以上を占める農地だったり、道が狭くて車の乗り入れが困難な場所などが多々あります。農業を行うには条件が不利で敬遠されがちな場所です。しかし、部落の半分以上は農地であり、条件不利地だからといって農業を辞めてしまうと、耕作放棄地だらけになり暮らしていくことも困難になっていくかもしれません。また、畑や水田には多様な生き物たちがいます。生産性や効率だけを重視する農業ではなく、化学合成農薬の使用をやめて生き物の多様性を維持したり、耕作不利地でも利用することで、私たちが暮らし子どもを育てていく地域の維持に関わっていきたいと考えています。